オットは鮮魚店に戻り、また仕事に没頭し始めました。 最初の1年で3回もお店を変わり、一番遠いところで1時間半通勤時間がかかるところへ行った時期もありました。 mochaはやっぱりな、という思いでした。 今思えばひどい行為ばかりでした。 鮮魚店へ戻る=裏切り、ではないですが、無言の圧力で、オットに愚痴さえもいえない環境を作っていました。 本当に、鬼嫁でした。 「私が子供を持てないのはあんたのせいだ。だから、これぐらいのこと当然なぐらい一生懸命やってみろよ」 「私があんたの立場なら必死でやるけどな」 ぐらいのことを平気で思っていました。 今でも心がささくれ立つとき、そう思うことが時々あります。 心の小さいやつなのです。 こんな広い世の中でも、自分を心から愛し、尊敬し、大切にしてくれる人は早々いない。オットがまさにそれだ と、信じきって結婚をした数年前はどこに行ったの?というくらい、心は荒れていました。 条件のいいところへ転職した、といってもやはりサービス業。 年間休日は以前のところよりはるかに増えましたが、働く時間はやはり長い。 上手に手を抜けないオットは、相当のストレスを抱えながら仕事をしていました。 口下手で疲れてかえってきては会話のない我が家。 先に寝てしまうこともしょっちゅうになったmocha。 このときは「わざと」先に寝たりしていました。 (今は本当に眠くて寝てしまうこともありますが) すぐに八つ当たりしたり、怒ったり。 お姫様のように扱われたかったのでしょうね。 付き合いたてのようにしてほしかったのでしょうね。 自分に自信がないのは、いつの間にかオットよりもmocha自身になっていました。 何にもない、いたって普通の主婦は、自信をつけるためにダイエットに励んだり、料理に奮闘したり。 でも、何かが違う。 ゴールが見えない。見えるのは、寂しい自分の老後の背中。 計り知れない孤独を、気づいているのか気づいていないのかもわからないオット。 心の中は孤独でした。 こんな相談を、子供が生まれて間もない友人にもできない。 誰にもわかってもらえない。わかるはずがない。 殻に閉じこもったmochaは、少し、欝っぽくなっていたのかもしれません。 人を信じたいけど信用できない。 オットを愛したいけど見返りなしで愛せない。 親に話してもわかってもらえない。「○○君がかわいそう」とオットの擁護ばかり。 かわいそうなのは、私だよ。 そう思ってなくこともしょっちゅうでした。 誰も悪くない。だけど、誰も責められないことが、私を苦しめた。 何かのせいにできたら、もっと楽だったかもしれません。 今現在(H28年春)、この症状は治まっていますが、整理するのには一生かけてじゃないと難しいと、思っています。 |